子安宣邦と爆笑問題2008/09/10 20:51

「爆笑問題のニッポンの教養」で思想史学者子安宣邦と爆笑問題の対話を見た。

子安の論は「『日本』はつくられたものだ」「『日本』というのはもともとなくて、本居宣長が古事記の解釈を通じてやまとことば、日本人というものを規定したことがそのはじまりである」といったものだったと思う。
基本的には私は子安の論に賛成である。子安の論に触れる前から、「日本」が成立したのは外国との本格的接触後、つまり開国前後だと考えていた。

追記:いくつかの未開「民族」は「民族」としての固有の名前を持たず、近代文明との接触以前は自分たちをただ「人間」としてしか認識していなかった。近くの例では北海道の先住民族もそうである。彼らは「アイヌ」と呼ばれることがあるが、これは彼らの言葉で「人間」という意味に過ぎない。彼らが自称として「ウタリ」を使うことがあるがこれも「仲間」というだけの意味で固有名詞ではない。つまり名前のある他者との接触は自分で自分に名前をつける上で非常に大きな要素なのだ。子安もこの程度は知っていたはずなのでこの話題を出せばまた対話は違ったほうに行ったと思う。

対する太田は「先生が何を言おうと先生もそのお父さんもずっと日本人で、その『民族』は動かせない」「日本という名前がつく前から日本と日本人は存在したに決まっている」というような批判をしていたと思う。

なお太田は子安に向かって「戦前戦中の否定のために『日本』を全否定しようとしている」ともいっていた。子安の個人的動機の描写としてはおそらく正しいだろうが、子安の理論に対する批判にはなっていない。

私は前から「民族」という言葉を軽く使う人には批判的である。私は爆笑問題太田が好きだが(だからこそこの番組を見てる)、今回の太田の主張も批判の対象である。

私の立場は、「どんな人間も寿命はせいぜい120年」「したがって『民族』の永続性を保つためには意識的な学習こそが大事」「だがわれわれは意識的には『伝承』する努力をしていない」ということである。
一例を挙げる。太田に言わせれば江戸時代にも「日本」人はいたはずだが、実際には我々は江戸時代の人間が書いた文書はほとんど読むことができない。日本の国語教育はいたく偏向している。江戸時代の人間の書いた文章が高校の国語の教科書に載っているとすれば、問題の本居宣長の擬古文(爆笑)のほかには松尾芭蕉か井原西鶴くらいである。ついでに言えば日本でも江戸時代までは日本人も文書を漢文で書くケースは多かったのだが、漢文の教科書には日本人の書いた漢文は一切載っていない。日本の国語教育は現代の学生に江戸時代の人間の書いた文章を読める能力を与えることなど問題にもしていない。それで民族の何が伝承されていると言えるのか。
また例を挙げる。合気道という武道がある。この開祖、植芝盛平という人は非常に実力があったらしくて、木刀を持った剣道家と素手で渡り合って押さえ込んだりしたこともあったらしい。合気道の本を読むといかに開祖がすごかったか、伝説(?)が列挙してある。一時それを間に受けて合気道入門を考えたこともあった。だが、裏を返せば、開祖がどれだけすごかったか書き連ねることは、弟子と師匠にどれだけ差があるかの現れでしかない。悪く言えば合気道の歴史は縮小再生産の歴史だ。もちろんこれは一例だ。だが、ほかの世界の人で笑える人がどれだけいるのか。これは印象に過ぎないが、「伝統的」な世界ほど「技は盗むもの」などと言って意識的な継承には否定的なのではないか。
さらに一例を挙げるならば、われわれはもはや「和服」も着られない。着られないから当然和服での作法も全くわからない。
これほどまでに継承することに無自覚なのに過去の「日本人」と今の「日本人」は何を共有できているのだろうか。



太田は大学中退である。そんなことはお笑い芸人としては何の傷にもならない。だがろくに大学にも行かなくて中退したのだから、他人の知恵を後生大事に継承しようとするタイプでないのは確かである(お笑いをやっていても落語家ではないし)。なのになぜたかだか数十年の教育の結果としての「民族」から逃れられないと思うのか、理解しがたい。

不真面目なブログのはずなのにまじめに書きすぎた。反省。

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